代表プロフィール

代表たちばなじん(橘尋子)

自己紹介

国際エアアート協会(R)代表理事、エアブラシアートの専門家、たちばなじんです。

大阪市鶴見区でエアブラシ教室(国際エアアート協会(R)大阪本部校:じんエアブラシアート教室)を運営する傍ら、お客様の依頼のエアブラシ画の制作もしています。

*全国出張いたします(2時間5万円~応相談、交通費別)
*産経学園大阪校 エアブラシ講座講師

2010年に始めた大阪の教室には、北海道や沖縄、海外ではドイツ、フランス、ハワイ、台湾からも受講生が来られています。受講生の人数はのべ4000名以上。

人生の後半戦を潤いのあるものにしたい方、趣味で楽しみたい方から、プロを目指す方まで、それぞれの個性に合わせ親切で丁寧な指導と、面白い&楽しい教室が人気の秘密です。^^

あなたもエアブラシアートが描けるようになりますよ♪

エアブラシについて思うこと

【エアブラシについて思うこと】

高校生の頃、山口はるみさんのエアブラシイラストに憧れて始めたエアブラシ。
気がつけばエアブラシを仕事にしてから38年になりました。

その間にずっと思っていたのが、エアブラシをしている女性が少ないってことです。

エアブラシをしている方といえば、まあ男性が多いですよね
プラモデルの塗装、車やバイク、デコトラ等のカスタムペイント。
塗装関係のエアブラシ。

まあ私もその世界で仕事をしてきた一人なのですが。



私の求めているものとは全然違うのです。


私はもっと綺麗で可愛い絵を描きたい。
もう少し絵画っぽい絵を描きたい。

山口はるみさんの絵のように額に入れて飾りたい。
壁にかけて眺めたい。

身近な小物にペイントして楽しみたい。
一般的な画材の一種としてもっと親しみたい。

油絵や水彩画や日本画、ペン画、鉛筆画、パステル、そういう画材と同じようにとらえて欲しい。

工場で作業するエアブラシではなく、リビングで描くエアブラシ。
お茶を飲みながら楽しむエアブラシ。

とくに人生の後半戦、私と同年代の方にエアブラシで潤いのある生活を送っていただきたいと思います。

そういうエアブラシを広めたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

私がエアブラシに憧れたきっかけ

【私がエアブラシに憧れたきっかけ】


昔ムカシ・・・私が「エアブラシ絵をやりたいー!」と真剣に思うきっかけになった本を紹介します。


まずは1978年発売の雑誌「ペーパームーン」


表紙がペーター佐藤氏のエアブラシイラストでした。
(この頃は佐藤憲吉ってお名前でした。)

当時、16歳だった私は、自分も早くエアブラシでこんな絵を描きたいと思ってました。



そして次に、山口はるみさんのイラスト集。(1978年)

当時、山口はるみさんのエアブラシで描かれた女性のイラストがパルコのポスターに採用され一世を風靡していました。

このイラスト集を初めて見た時の感動も忘れられません。

暇さえあれば、繰り返し繰り返し見ていましたねー。



そして同じ頃に心斎橋の洋書専門店で見つけたこの絵本

すみません。33年前に買ったこの本、どこへ行ったのか行方不明でして汗、最近、ネットで日本語バージョンを購入しました。

当時、買った本は英語で「What Can a Hippopotamus be?」というタイトルでした。


私はこのエアブラシカバさんが好きで好きで・・。≧(´▽`)≦

ストーリーもいいのですが、それよりこういうエアブラシイラストに憧れました。


マスキングを使って、可愛く表現したイラスト。私がマスキング絵を描く時には、必ずこのカバさんが頭の中に居ます。

今はマスキングを使わず、フリーハンドで描く事が多くなりましたが、基本的にこういうマスキング絵も大好きです。

経歴

1962年大阪生まれ
1976年:15歳で初めてエアブラシに触れ、エアブラシの魅力にはまる。

1979年:高瀬義明美術研究所にて美術全般(石膏デッサン、鉛筆デッサン、色彩構成、立体構成、平面構成、等)を学ぶ

1980年:高校卒業後、デザイン専門学校に通いながらエアブラシの腕を磨く。
「オートボディショップたなか」にてプロのエアブラシアーティストとして活動する。(ジンハウスを設立)

*プライベートでは20歳で結婚、娘2人を出産、40歳で離婚、今現在は3人の孫が居ます。

 

■テレビ雑誌等のメディア出演多数、
展示会、個展、イベント

詳細はこちら→メディア出演、個展展示会



■特許・実用新案
エアブラシ用オリジナル型紙が実用新案取得
エアステンシルアート(R)商標登録済
ジンハウス(R)商標登録済

今までを思い返して

以下、長文になりますので、私の学生時代に興味のある方だけどうぞ。


うちには私が15歳の時からエアブラシがありまして、(最初は父がアメリカで買ってきた )絵が好きな母がせっせとエアブラシで絵を描いていました。

母が研究しつつ絵を描いてる横で、私はちょこちょこと邪魔する程度だったのですが、このカバさんの絵本と山口はるみさんのイラスト集の影響でだんだんと真剣にエアブラシをやりたいなーと思うようになったのでした。


私の実家は車の板金塗装の工場です。

工場なのでコンプレッサーもあるし、塗料もあるし、なにより作業する場所がある。


廃車する車のドアやボンネット、キャンバスはいくらでもある。
自分ちの社用車にもいくらでも描ける。


失敗した絵は、塗装のおっちゃんが塗りつぶしてくれる。
いくらでも失敗できる。

しかも研究熱心な母が色んなタイプのエアブラシを買ってきて試していました。

吹き付けの空気圧、塗料の濃度、型紙の制作、色を乗せる順序、色んな研究をしました。


私は、エアブラシでペイントしたペンケースを高校へ持っていって使ってました。

部屋のセンターテーブルには好きな萩尾望都さんのマンガイラストを描いて使っていました。


車業界の専門誌がうちで取材して「エアブラシペイントの仕方」を連載していたので、時々、手伝っていました。

(その頃は塗装マンのカスタムペイントか、母のエアブラシ絵か、それを取材し毎月だったか?隔月か?、記事にされていた。)


私はその頃から自分の店(会社)の名前を考えていました。

私の夢は従業員0人の会社の代表になることでしたから。(笑)



当時、「Milk-House」っていう洋服のブランドがあったんです。

ブリブリの女の子っぽいデザインのブランドでしたが。

古い話です。
ご存知の方、いらっしゃいますか?


別にそのミルクハウスが好きだったわけではないのですが、後ろのHouseが可愛いなあと思って将来の自分の店の名前を「Jin House」にしようと決めていました。


あ、じんっていうのは、本名ではなくニックネームでした。

本名が読みにくい漢字の名前(尋子←ひろこ)でして、みんなから「じん」って呼ばれてましたので。


で、高校を卒業後、デザインの専門学校に進んだのですが、実家の車屋のエアブラシの仕事がじゃんじゃん入るようになり、そのまま18歳からエアブラシ絵を本業にしたのでした。

ジンハウスの始まりでした。


その後も塗装のプロの工場の兄ちゃんやおっちゃんと一緒に色々と研究しました。

車にエアブラシするって一言で云っても色んな工程が必要だったり、色んなアクシデントがあるんです。


常に工場の兄ちゃん達が居てくれて、安心感がありました。

万が一、失敗しても塗装のプロが何とかしてくれる。


たくさんの仕事をどんどんこなしていく上でこの安心感はすごく大きかったです。

私はエアブラシをするのにとても恵まれていました。

最高の環境でした。

小学生の頃、自分ちが車屋さんであることが子供心にイヤだったんです。


だって友達の家はちゃんと玄関があるんです。
うちには玄関が無かったんです。

汚い工場の2階に住んでいたから汗。←ほったて小屋みたいな。(^^;


友達の家のお父さんはネクタイをして会社に行くんです。

でもうちの父は年柄年中、汚れたツナギを着てるんです。

子供心にネクタイをしたお父さんに憧れていました。


子供の頃は嫌だった車屋ですが、今となっては感謝です。


たちばなじん(橘尋子)